Black Out


昼過ぎからはばたき市に降り出した雨は、夕刻には嵐の様相を呈してきた。
ドライブへ行く予定を取り止めて、部屋で過ごしていたのは正解だったが
そろそろ彼女を家に送って行かなければ大変なことになりかねない。

海抜の低いこの地域は昔から水害に悩まされてきた。再開発が進み、
治水工事も行われているが、あまりに降水量が多いと浸水の危険がある。
先日もかなりの雨が降ったばかりで、今日は特に警戒の必要がある。

、そろそろ君を家まで送って行く。支度しなさい。」
「あ、はい。」

は傍らのショルダーバッグを手にする。私が彼女の誕生日に贈ったプレゼント。
大事に使ってくれているらしい証拠に傷一つない。彼女の気配りの高さがわかる。

「支度は終わったか?」
「はい、支度と言う程のものではないですから。
あっ、ちょっと待って下さい。」

軽やかなリズムの電子音が流れる。どうやら彼女の携帯が鳴りだしたらしい。

「もしもし? あ、お母さん?…うん、そう。お家に。…これから送ってもらうの。…
えっ?だめだよ、そんなの。御迷惑でしょ?…いや、それはわかるけど…えっ、もう?…
だったらなおさら急がないと…だから、だめだって。…代われ?何言ってんの?」
「どうした?」

だんだんと表情の険しくなる彼女に、たまらず声を掛ける。
彼女は通話口を押さえて、困ったようにこちらを振り返った。

「あの、電話、母なんですけど、先生に代われって…」
「そうか、では貸しなさい。」
「え?」
「電話を貸しなさい、私に代われとおっしゃっているんだろう?」
「いいんですか?」
「全く問題ない。」
「じゃあ…」

彼女はおずおずと携帯を差し出した。
彼女の母親とは家庭訪問や面談で何度か話したことがある。
快活でよく喋るタイプの女性で気さくな印象を受ける。
しかし、とこうした付き合いを始めてからは初めての会話となるので
少し緊張を覚えてはいた。

「もしもし、お電話代わりました。氷室です。」
「先生!いつも娘がお世話になっております! もう先生とお呼びしない方がいいのかしら?
まさか卒業後もお世話になることになるなんて、思ってもいませんでしたから、フフフ。」
「いや、それにつきましては、なんと申し上げていいか…」
「そんなに恐縮なさらないで。私、娘を褒めておりますの。素敵な人捕まえたわね、って。」
「…。あの、いずれ、きちんと御挨拶に伺いますので…。」
「あら、本当ですか?楽しみだわ。なるべく早くいらしてね。」
「はい…。コホン、それで私にお話と言うのは…」
「そうそう、忘れるところだったわ。今日、雨がひどくて危ないじゃない?」
「はい。これからすぐに彼女をお送りするつもりです。御安心ください。」
「いえいえ、そうじゃなくてね。」
「は?」
「もう、警戒水域ギリギリみたいなんですよ。いつ、水が溢れるかわからない状態らしいの。
ただでさえお足元の悪い中、危険をおかしてを送っていただくのも悪いでしょう?」
「ですが…まだ急げば間に合うでしょう。」
「でもねえ、行きはよくても帰りが、なんてことになったらこちらとしても申し訳ないし、
それに、明日は振り替え休日でお休みじゃない?無理に帰って来なくてもいいと思うのよ。」
「…おっしゃる意味がわかりかねますが。」
「要するに、を一晩預かっていただけませんか、ってことなのよ。」
「な?そ、それは了承しかねます…。」
「御迷惑かしら?」
「いえ、迷惑と言うより、彼女はまだ未成年ですし…」
「あら、先生のところなら安心だわ。これ以上ないくらいしっかりしてらっしゃるもの。」
「しかし…」
「お父さんのことなら大丈夫。私がしっかり説得しますから。まあ、もともと
お父さんは私に頭があがらないんですけどね、フフフ。」
「いえ、そういうことではなくて…」
「ほら、市役所のサイレンが鳴ったわ。もう、外に出ちゃダメよ。
先生、をよろしくお願いします。ね。」

返事をする暇もなく、電話は切れてしまった。
こんなに強引な人だったのだろうかと、少し頭が痛くなった。

「あの、母はなんて?」
「ああ、どうやら押し切られてしまったらしい。」
「押し切られたって…」
「君を一晩預かってほしいそうだ。」
「やっぱり…。ごめんなさい、母が変なこと言って。すぐ帰りますから。」
「いや、もう外に出ない方がいいだろう。警報が鳴っている。」

警戒水域を越えたことを示すサイレンが先程から鳴りだしている。
電話がかかって来なければ或いは間に合ったかもしれないと思っても後の祭りだ。
彼女の母親の言う通り、彼女を預かるしか道は無さそうだ。

、今は非常事態だ。君の安全確保のため、今夜は、コホン、ここにいなさい。」
「でも、それじゃあ御迷惑が…」
「迷惑ではない。この部屋には十分なスペースがある。君一人ならなんということはない。」
「いや、スペースの問題じゃなくて…」
「…何を考えているのかわからないが、心配するようなことは何もない…。」
「でも…緊張します…」
「意識、しなければよい。…とにかく、非常事態なのだから…。」
「はい…。」

とは言うものの、私も平静とは程遠い状態であった。やむを得ないこととはいえ、
彼女がここで一夜を明かすということはかなりの緊張を強いられる。
お互いを意識せずにいられる自信がなかった。しかし、私が動揺を見せてはいけない。

「さて、この時間をいかに有効に使うか、だ。なにか提案はあるか?」
「零一さん、顔が引きつってます…」
「そ、そんなことはない!そうだ、ビデオはどうだ、興味深い作品がある…」
「…ホラーですか?」
「そうだ。まさにこんな夜にふさわしい。」
「……」

嵐はますます激しさを増していた。時折窓に吹き付けられる雨粒の音が驚く程大きい。
何かを責め立てているようなその音を消してしまおうと、ビデオをセットしたその時、
全てが闇に包まれた。

「きゃっ!!」
「停電のようだな。最近では珍しいが。」

周辺の家屋は全て停電しているらしく、窓の外には明かりが全く見えない。

「いやーっ、怖いーーっ」
「落ち着きなさい、叫んでもどうにもならない。」
「でも怖いー。零一さん、どこにいるんですかーっ??」
「君は、もう大学生だろう? そんなことでどうする。」
「歳なんて関係ありません。怖いものは怖いんですっ。本当にどこにいるんですかっ!!」

余りの取り乱し方にすこし驚きながらも、手探りで彼女に近付く。

「ここにいる。」
「零一さんっ!!」

勢いよく抱きつかれ、バランスを崩しそうになる。

「そんなに怖いのか? お化けの恐怖は克服したろう?」
「怖いのはお化けじゃありません。暗闇なんです。お化けが見えるのはそれなりに
明るいからでしょう? なんにも見えない真っ暗が嫌なんです!!
寝る時だって電気つけてないと眠れないんですから。」
「そうか。ではとりあえず懐中電灯でも取って来よう。」
「嫌っ! どこにも行かないで!」
「しかし、それでは…」
「離れないで、ここにいて下さい…。これが一番安心するから…。」
「仕方ないな…。」

包み込むように抱きしめると、彼女の小ささを改めて感じてしまう。
時折しゃくりあげる背中をそっと撫でてやると、ほっとしたようなため息が聞こえた。
暗闇の中、お互いの体温だけが確かで、さっきまであんなにうるさく感じていた雨音も
今は鼓動にかき消されている。伝わってくる彼女の鼓動もまた、私と同じくらいに早い。

「まだ、怖いか?」
「大丈夫…」
「暗闇の恐怖は、克服できそうか?」
「零一さんが、こうして側にいてくれるなら…」
「全く、君は…」

彼女と付き合い始めて気付いたのは、私は彼女のこんなわがままにとても弱いということだ。
生徒として接していた時は、「くだらないことを言うな」と一蹴できたのに。
それほどまでに私は、彼女に惹かれているということか。

…」

胸に押し当てられている顔を、手探りで上げさせる。
頬を、瞼を、鼻筋を、そして唇を、確かめるように指先で辿る。
十分に位置を把握したところで、彼女の唇に自らを…。

その時、唐突に明かりが付いた。

「あっ…」
「す、すまない…」

急に明るくなった部屋に驚き、思わず体を離してしまう。
闇に慣れた目には眩しすぎる蛍光灯の明かりが、恥ずかしさを際立たせているような気がした。

何も言えずいると、かってに再生を始めたビデオテープが、妙におどろおどろしいテーマを
流し始めた。それを聞いた彼女が吹き出した。

「なんか、間抜けですね。本当はすごく怖いはずなのに。」
「そうだな。電気を消してみるか?」
「うーん、零一さんがずっと手を握っててくれるなら、それでもいいです。真っ暗じゃないし。」
「よろしい。では、ビデオ観賞会を始める。」

人間の心に潜む恐怖を描き出す秀作のはずだったのだが、彼女がメインテーマが流れるたびに
吹き出すので、さっぱり内容が頭に入って来ない。しかし楽しそうにしている彼女を見ると
それでもいいかという気持ちになる。ビデオの楽しみ方は、ひとつとは限らない…。

外の嵐はまだまだ吹き荒れていて、明日の天気も期待できそうにないけれど、
彼女とこんな穏やかで楽しい時間が過ごせるなら悪くはない。幸いビデオのストックはまだある。
さしあたっての問題は、私の肩にもたれて眠ってしまった彼女をどうするか、だが。


Fin


 



結局何が書きたかったのか、といえば先生とお母さんとの会話でしょうかねえ。ビデオの話は
おまけのようなもの、かな? 本当は主人公がなぜ暗闇が怖いのかきちんと説明しようと思ったの
ですが、いい理由が見つからず。だって、私暗くなくちゃ眠れない人だし(笑)
次こそ先生とお父さんの対決(?)を書きたいな。(なぜかVSシリーズの様相を呈している…)



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