B/W 1 「さて、と。」 鏡の中の自分に向かい、貴文は話し掛ける。 「今日から新学期ですよ、若王子先生。」 笑みを作った彼の目は、笑っていない。 「これじゃあ、完璧すぎるよね。」 そう言いながら、綺麗に整えられていた髪を、乱暴にかき乱す。 「中途半端な寝癖じゃ、スルーされちゃうからね。しっかり乱さないと。」 まるでだらしなくすることを楽しむかのように、反対の身だしなみは続く。 「これはさすがにやりすぎか。」 シャツのボタンをわざと掛け違えようとして、思いとどまる。 「一応、大人だし、先生だからね。」 緑色のタイをゆるく締め、貴文は準備を終えた。 「はい、これで若サマの出来上がり。」 その言葉を合図にしたように、鏡の中の彼の表情が変化した。 獲物を狙う猛獣のような顔から、陽だまりで喉を鳴らしているお気楽な猫のように。 それは、変身と言っても過言ではないほどの変化。 「若王子貴文」の本性は、見事なほどに消されたのだ。 * * * * * 「おはよう若ちゃん!」 「あ、おはようございます。」 「今日も寝癖ついてるよ!ちゃんと鏡見て来てるの?」 「え?本当ですか? 先生直したつもりだったんですが。あとでもう一度直します。」 「もう、しょうがないなぁ、若ちゃん。」 「はあ、スイマセン。」 通学路で、生徒達から次々と声をかけられる。 そのほとんどが、のほほんとした彼へのツッコミ。 敬語を使うものなどほとんどいない。 「尊敬されちゃ困るんだよね。」 誰にも聞こえない声で、貴文はつぶやく。 「人間って、自分を超える存在に対して、敵意を抱くんだよね。 そして相手のことを徹底的に暴きたくなる。 必要以上に興味を持たれない、詮索されないためには、 自分より抜けてる、って思わせなきゃダメなんだよ。」 それこそが彼が身に付けた処世術。 人の中にいて、人を避ける。 オープンなようでいて、核心には踏み込ませない。 誰からも好かれているのに、孤独。 それが、彼だった。 * * * * * 一年生の教室。 貴文が担任となるクラスだ。 「初めまして。みなさんの担任になります、若王子 貴文です。 担当は化学です。一年間、よろしく。」 ざわつく教室内。特に女子生徒が騒がしい。 何を言われているかはちゃんと聞こえているが、 それについて特に反応することなく、貴文は続ける。 「みなさん、静かにしましょう。それでは……何か、質問はありますか?」 「はーい、先生!付き合ってる人はいますか?」 「付き合ってる人……。女性と言うことですか?」 「はい!」 (随分直球で来たな・・・) この手の質問が来ることは予想していたが、あまりのストレートさに可笑しくなる。 それに対して、貴文は用意しておいた返答の台詞を淡々と返す。 無論、そんなことは悟らせもしないのだけれど。 「付き合ってる女性……。ふむ……難しい問題です。」 「はぁ?」 「一時期、ある女性から頻繁に外出に誘われて、よく二人で出かけました。 その人から電話が来なくなって、この春でかれこれ三年になります。 そういうのは、どうでしょう? 「はぁ、え、えーと……。 」 誤魔化しているわけでもなく、いるともいないとも言わない。 掴み所のない、ふわふわとした答え。 そんな「若王子貴文」を彼はいつも演じているのだ。 もちろん、この答えは事実なんかじゃない。 誰かと付き合おうだなんて、考えたこともない。 誘われても、いつもとぼけたふりでかわし続けてきた。 (誰かを好きになったって、誰も本当の僕を理解してなんかくれないじゃないか・・・) * * * * * 「それでは、出席をとりますね。」 しばらくの脱線のあと、軌道修正はきちんとする。 若王子貴文はとぼけた先生ではあるが、できない先生ではないのだ。 「安藤 冬樹君」 「はい!」 「井上 健君」 「はい。」 次々と生徒の名を呼んでいく。 新入生らしく、少し緊張した返事が返ってくる。 「 さん」 「はい。」 返事をしたのは、栗色の髪の少女だった。 まっすぐに、こちらを見つめている。 その視線は少し不安なようにも、挑戦的なようにも見えた。 彼女に見つめられ、貴文の心は、なぜかざわついた。 とたんに貴文の思考回路は高速回転を始める。 数字。 言葉。 記憶。 いくつものカテゴリが乱れて飛び回る。 普段ならその全てがあるべき場所に収まっていくのだが、 今日は何か収まらないピースが、思考の中に残った。 (なんだ、これ?) 世の中には不確定要素が少なからずある。 頭の中での計算結果が、100%現実になるわけではない。 計算機のように扱われてきた貴文にとって、計算どおりにならないということが 理解できないという人間が何よりも嫌だった。 人を信じられなくなったのは、そのせいだ。 (わからないことは、放って置いてもいいことなんだよ。) 残されたピースを、思考の隅に押しやって、出席の続きをとる。 (でも、何か、気になる・・・) 不確定要素は、他の条件を加えれば計算が可能になる。 そのための条件探しが正確な答えを出すことには必要なのだ。 (うん、なかなか面白いね。) 退屈な毎日の暇つぶしに、しばらくはこのピースの解析が 役立ってくれそうだ、と貴文は思った。 頭の領域の何割かを、計算用に空けてやる。 久しぶりに取り組み甲斐のある問題に、頭が喜んでいるように感じた。 * * * * * 出席をとり終え、貴文は生徒達にこう告げた。 「それでは、先生は一度教員室にもどります。 みなさんは自己紹介シートに記入しておいてください。 それでは。 」 教室を出て行きかけて、気が付く。 「シートを配るのを忘れました。」 いつもの「若王子先生」の演技ではなく、本当に忘れたのだった。 やっぱり、何かが違っている。 計算に集中しすぎていた? そんなはずはない。 通常の業務をするだけの領域は確保してある。 では何故・・・? シートを配っていると、 と目が合った。 また少し、心がざわつく。 (これは、本気出しますか。) 心の中で、本来の貴文が、不敵な笑みを浮かべていた。 それは、人を避けて生きてきたいつもの貴文の行動とは違っていたのだけれど、 計算に夢中になっていた貴文は、そのことを忘れているようだった。 ( さん、その視線の問い、必ず解いてあげますよ。) そんなことを思いながら、貴文は教室を出て行ったのだった。 ・・・to be continued. |
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