アンサンブル Girl's Side  今日は、はばたき学園の文化祭。 私は吹奏楽部の舞台を無事終え、クラスのノルマからも解放されて校内を一人ぶらついていた。珠美ちゃんのクラスでやっている喫茶店でも覗きに行こうか、と思ったとき、背後から大きな声が聞こえた。 「咲〜っ!」 振り返らなくてもわかる、その甲高い声の主は、奈津実。いつになく深刻な表情で向こうから走ってくる。腕には文化祭実行委員の腕章をしている。お祭り好きの彼女にぴったりだ。 「はあ、はあ。良かった、見つかって。」 「奈津実、どうしたの?」 「実はさ、あんたにお願いがあるの。」 「何?」 「あのさ、今日の後夜祭のステージに出てくんない?」 「えーっ?そんなの無理だよ〜。」 「ダメ?すっごく困ってるの。出る予定の人がケガしちゃって、出られなくなっちゃって。でもステージに穴あけるわけに行かないじゃない?だから誰か芸達者な人を探そう、ってことになって。あんたフルート吹けるでしょ?簡単な曲でいいからさ、何か一曲やってよ。」 「そんなこと急に言われても・・・。」 「私の友達でステージに立てそうな人ってあんたしかいないの。お願い!」 「でも、一人でフルート吹いてるの聴いたって、面白くないんじゃないの?」 「そうかなあ。あ、いいこと考えた!ヒムロッチにピアノの伴奏してもらえばいいじゃん?お近づきになるチャンスかもよ?」 「な、何言って・・・」 「隠さなくてもこの奈津実様はちゃーんとお見通しなんだから。あんた、ヒムロッチにLoveでしょ? うん、我ながらグッドアイデア! そうとなったら、講堂のステージにピアノ入れてもらえるように本部に言ってこなくちゃ!」 というと奈津実は実行本部に向かって駆け出した。 「ちょ、ちょっと奈津実!」 「お願いね〜!!」 奈津実はあっという間に見えなくなった。 (・・・やるなんて言ってないのに・・・)  しかし、奈津実がああ言って行ってしまった以上、断ることはもうできそうにない。後夜祭まであと何時間もない。これはどうにかしなければ・・・。 (氷室先生に伴奏のお願いしたら、やってくれるかなあ・・・。断られたら悲しい・・・。) とにかくここに突っ立っていても仕方がないと、歩き出そうとした瞬間、声がした。 「広院。」 まぎれもなくそれは氷室先生の声。 「氷室先生!」 「どうした、そんな深刻そうな顔をして。文化祭を見に行かないのか?」 「先生〜。」 私は奈津実に後夜祭のピンチヒッターを頼まれてしまったことを手短に話した。 「伴奏してください、なんてダメですよね。」 「問題ない。」 「え?」 「困っているのだろう? ステージに穴をあけては藤井も面子が立たないだろう。藤井のような問題児を手助けするのは多少不本意だが、あれでも私の生徒の一人であることには変わりがない。」 「じゃあ、いいんですか?」 「そうだ。ところで何をやるんだ?」 「だからピアノの伴奏を・・・。」 「そうじゃない、曲は何をやる、と聞いている。」 「あ、まだ決めてません。」 「全く、君は。今から音楽準備室に行くぞ。楽譜を選ぶ。」 「はい!」  まさか氷室先生が快諾してくれるなんて思っていなかったので、びっくりした。でも、憧れの氷室先生とのアンサンブル、その機会を作ってくれた奈津実に心の中で感謝した。氷室先生は楽譜の棚をあれこれと物色している。私は、ページをめくる氷室先生の形のいい指に見とれていた。 「何をニヤニヤしている?」 「いえ、何でもありません。」 「何かやりたい曲はないのか?」 「うーん、特には・・・。」 「・・・全くないのか?」 「そうですね、簡単で、有名な曲がいいです。聴いてるみんなもそのほうがいいでしょうし。」 「フム、ならばこれはどうだ。」 そういって氷室先生が差し出した楽譜にはこう書いてあった。 E.Satie "Je Te Veux" 何語だろう・・・?英語ではないみたいだけど? 「クラシック曲だが、この曲なら馴染みのないものも一度くらい聴いたことがあるだろう。」 譜面をたどってみると、確かに聞いたことのあるメロディーだ。 「はい、この曲なら知ってます。このタイトル、なんて読むんですか?」 「ジュ・トゥ・ヴだ。・・時間がない。早く練習するぞ。」 「はい!」  音楽室のピアノを開き、先生がピアノを弾き始める。私は初めて見る楽譜を追うのに必死で、先生のピアノをじっくり聴く余裕はなかったが、いつかの放課後に聴いた優しいタッチは変わっていなかった。 「・・ここから少しリタルダンドをかける。2小節後にアテンポだから、私が合図する。忘れずにこちらを見なさい。」 「はい、わかりました。」 「ではもう一度ここからだ。」  いつもの部活の指導と変わらず、氷室先生は厳しかった。なかなか納得してもらえず、怒られてばかりだった。それでも何とか満足の行くレベルまで吹けるようになったのは、後夜祭開始まであと10分というときだった。 「先生、あと10分です!」 「わかっている。講堂へ急ごう。」 私と先生は、早歩きで講堂へ向かった。本当は走りたいところだったが、先生は決して廊下を走ったりはしない事がわかっているので、できる限り早く足を動かした。  講堂につくと、奈津実が焦った顔で待っていた。 「もう、遅いよ〜。来ないかと思ったじゃない!」 「ごめんね、練習してたから。」 「うん、わかってる。こっちが急に頼んだんだから、文句言えないよね。本当にありがとう。」 「私には何も言わないのか?」 見ると先生は少し不機嫌そうになっている。 「もちろん、先生にも感謝してますよ。でも感謝して欲しい、っていうのもあるかな?」 「何だそれは?私は君に感謝することなど何もないぞ。」 「そうかなあ??」 「藤井。君が何を言わんとしているか理解できないが、その態度は・・・」 「あ、私マイク係の人に話があるんだった!じゃ、お二人ともよろしくお願いしますね!」 「藤井!」 奈津実はまたあっという間に消えてしまった。 氷室先生はいかにも怒り足りない、といった表情をしている。 「藤井には反省文を提出させねばならんな・・・。」 「まあまあ先生、お祭りですから・・。」 「何?」 「いえ、なんでもありません。」  ステージの袖で出番を待っていると、次第に緊張してきた。吹奏楽部の演奏会でステージに上がるときとはまた違う緊張感だ。 「どうした、緊張しているのか?」 「はい、いつもはみんなと一緒だけど、今日は、あの、先生と私だけ、じゃないですか。注目が集まるのがちょっと怖いです・・・。」 「なんと言うことはない、観客などかぼちゃと思えば良いんだ。それより全身で音楽を楽しむんだ。私も今日は、楽しませてもらうつもりだ。」 「はい。楽しんでみます。」 「よし、その意気だ。」  私達の登場を告げるアナウンスが流れた。奈津実の声だ。 「・・次は吹奏楽部のホープ、広院咲さんのフルートと、と冷血教師、氷室先生のピアノのアンサンブルです。皆さん、神妙にお聞きください。」 会場に笑いが起こる。氷室先生は「冷血教師」のところでちょっと顔をしかめた。 舞台袖から私達が出ると、大きな拍手が起こった。ほぼ全校生徒がこちらを見ている。緊張で倒れそうになったが、なんとかこらえる。 ピアノの前に座った氷室先生のほうを見ると、先生は口の形だけでこう言った。 「(大丈夫だ。)」 その一言で、不思議なほど勇気が湧いてきた。なんだか、できそうな気がする。  先生は咳払いをひとつすると、そっとイントロを弾きはじめた。静かなピアノの音色が講堂に響く。4小節目から始まる私のパートが流れ出すと、会場の雰囲気が緩むのがわかった。知っている曲だということがわかり、みんながほっとしたのだろう。  中盤の元気なメロディの場所で、氷室先生を見ると、普段見たことのないような楽しそうな表情で鍵盤を叩いている。この人は、本当に音楽を楽しんでいるんだ、私も一緒にこの時間を精一杯楽しもう、そんな気持ちで私はフルートを吹いた。  後半、何度も練習させられたアテンポ、その個所が近づいてくる。必要なこととはいえ、氷室先生の顔をじっと見つめるなんて、照れてしまう。だけど、見ないわけには行かない。あと3小節、2小節、心臓の音がどんどん早くなってくる。あと1小節、視線を氷室先生に移す。先生は、じっと私を見ていた。一瞬、時が止まる。氷室先生のの瞳は、いつもと何か違う、何かを訴えかけるような瞳だ。 (なんて言ってるの・・・?) そう思ったとき、氷室先生はいつもの先生に戻り、テンポを戻す合図を送ってきた。私は慌てて楽譜に向き直る。一瞬、演奏していることを忘れそうになったけど、なんとかミスはしないで済んだ。だけど、氷室先生には私の動揺がきっとわかっているに違いない。あとで何か言われるんだろうな・・・。  そしてあっという間に曲は終わった。拍手に送られながら、私達は無言でステージを降りた。袖には奈津実がいた。 「良かったよ〜!やっぱりあんたに頼んで正解だった!私もあの曲知ってるよ。なんて曲かは知らないんだけど。」 「ジュ・トゥ・ヴだ。」 氷室先生が冷たく言い放つ。 「藤井、さっきのアナウンスは何だ。」 「え、何のことですかぁ?」 「私のことを冷血教師と言っただろう。」 「そんなこと言いましたぁ?」 「反省文10枚、明日までに提出しなさい。」 「え〜?そんなぁ。文化祭なんだからいいじゃないですかぁ!」 「以上だ。」 氷室先生は足早に立ち去ろうとしている。私は奈津実にバイバイ、と声をかけると先生を追いかけた。 「先生、今日はありがとうございました。楽しかったです。」 「いや、私も久々に楽しい時間を過ごした。礼を言うのは私のほうだ。」 「そんな、お礼なんて。」 「アテンポのところでは、多少ひやひやしたが。」 「すみません、ちょっと・・・。」 氷室先生の視線にドキドキして、なんて言えない。 「まあいい、あれだけの練習時間では上出来のほうだろう。ところで広院、君は"ジュ・トゥ・ヴ"の邦題を知っているか?」 「あの、知りません・・・。」 「知らないのか。」 「はい・・・。」 「では調べてみなさい。」 「教えてくれないんですか?」 「コホン、何でもかんでも人に聞くものではない。自分で調べてこそ意義があるのだ。」 「はい、わかりました・・・。」  ふと氷室先生の顔を見ると、少し赤くなっている。ステージのライトが暑かったのかな?なんて考えていると 「広院、君はまだ何かやることがあるのか?」 「いいえ、クラスのノルマは果たしましたし、片付けは明日、ってことになってますから。」 「そうか。では私の車に乗っていくといい。送っていこう。」 「はい!ありがとうございます!」 私はスキップをしたいような気持ちで、先生のあとをついていった。  氷室先生にこうして家まで送ってもらうのは何度目だろう。助手席のシートの位置が、私が調節したまま変わらないところを見ると、ここに乗っているのはもしかして私だけなのかな、なんて期待もしてしまうけど、「助手席に乗せる人はいないんですか?」なんて質問は先生にはご法度なのはわかっている。 「ありがとうございました。わざわざ家まで。」 「問題ない、君の家は私の帰路にある・・・。」 「先生?」 「では私はこれで。」  家に帰ったあとも、先生と演奏した曲がぐるぐると頭を回っている。素敵な曲だったな。そうだ、邦題を調べるんだった。急いでパソコンで「E.Satie Je Te Veux」と検索してみた。どれどれ、邦題は・・・ 「!!!」 パソコン画面にはこう書かれてあった。 サティ(E.Satie) Je Te Veux(おまえが欲しい) みるみるうちに顔が赤くなるのがわかった。 (氷室先生、どういうことですか??? 私、期待しちゃいますよ・・・。) 食い入るようにパソコン画面を見つめていると、いつのまにか尽が部屋に入ってきていた。 「姉ちゃん、何赤い顔してパソコン見てんだよ。女のくせににHサイトとか見てるんじゃないだろうなあ?」 「そ、そんなわけないでしょ!それよりあんた、また勝手に人の部屋に入って!!」 「いいじゃん、それより本当は何見てんだよ?見せろよ〜!」 「ダメ!早く出て行って!」 うるさい尽を押し出すと、後ろ手にドアを閉める。ドアにもたれて、ずるずると座り込んだ。  氷室先生がなぜこの曲を選んだのか理由を知りたい。でも聞いてもきっと、はぐらかされてしまうだろう。だけど、この曲を選んだことが、氷室先生からのメッセージだとしたら、私は喜んでそれを受け入れたい。 「私は全て、あなたのものです・・。零一さん。」 Fin