アンサンブル Reiichi Side

 今日は、はばたき学園の文化祭。
指導する吹奏楽部の舞台も無事終了し、担任するクラスの出し物も順調だと報告を受けた私は、羽目を外しすぎた生徒はいないか、校内の見回りをしていた。
 すると視線の先に、が一人で歩いているのを見つけた。

(彼女はこんなお祭り騒ぎの日に、一人で何をしている?一緒に歩く友達くらいいないのか?)

行って、声をかけたい気分に駆られる。何を考えているんだ。彼女は生徒だ。こんな日に教師と一緒に歩いたりするものか・・・。

〜っ!」

馬鹿でかい声が響いた。あれは藤井奈津実だ。

(なんだ、友達がちゃんといるんじゃないか・・・)

余計な心配をしたことを苦笑しつつ、見回りの続きをしようと立ち去りかけた。しかし、藤井と話すの困ったような表情を見て、また足が止まった。そういえば藤井は文化祭実行委員だ。と一緒に文化祭をそぞろ歩くような暇はないはずだ。では何を話しているのだろうか?
 そう思っているうちに、藤井は走り去っていった。あとには途方にくれたが取り残されている。困った生徒を助けるのは教師の仕事だ、と自分に言い訳しながら、私は彼女に声をかけることにした。

。」
「氷室先生!」
彼女は驚いた顔で振り返る。
「どうした、そんな深刻そうな顔をして。文化祭を見に行かないのか?」
「先生〜。」
彼女は藤井が彼女を後夜祭のピンチヒッターに指名した、と話した。断る暇もなく立ち去ってしまった、と泣きそうな顔で訴える。そして、フルート独奏では味気ないので私に伴奏を頼めないか、と。
「伴奏してください、なんてダメですよね。」
「問題ない。」
「え?」
「困っているのだろう? ステージに穴をあけては藤井も面子が立たないだろう。藤井のような問題児を手助けするのは多少不本意だが、あれでも私の生徒の一人であることには変わりがない。」
正直な話、藤井などどうでも良かった。アンサンブルの相手に彼女が私を求めている、それが事実であり、断る理由は何もない。
「じゃあ、いいんですか?」
「そうだ。ところで何をやるんだ?」
「だからピアノの伴奏を・・・。」
「そうじゃない、曲は何をやる、と聞いている。」
「あ、まだ決めてません。」
彼女は、頭脳明晰のわりに多少ぼんやりとしたところがある。直させなければ、と思ってはいるが、長所のように思えるときもある・・・。
「全く、君は。今から音楽準備室に行くぞ。楽譜を選ぶ。」
「はい!」
私達は足早に準備室へ向かった。

 楽譜の棚に向かい、選曲を始める。はそれなりの実力を持ってはいるが、後夜祭までの短時間で完成させられる演目は多くはない。しかも後夜祭という性質上、堅苦しいものはそぐわない。の意見を聞こうと振り返ると、ろくに楽譜も見ず、視線をこちらに向けている。
「何をニヤニヤしている?」
「いえ、何でもありません。」
「何かやりたい曲はないのか?」
「うーん、特には・・・。」
「・・・全くないのか?」
「そうですね、簡単で、有名な曲がいいです。聴いてるみんなもそのほうがいいでしょうし。」
「フム、ならばこれはどうだ。」
そういって私は1冊の楽譜を差し出した。

E.Satie "Je Te Veux"

はタイトルに思い当たりがないようだ。私は内心ほっとした。
彼女の出した条件には確かに合致する。しかしそれだけの理由で選んだのではないことは明確だ。伝えてはならない、この胸に潜む気持ちを、密かに秘めたタイトル。

("Je Te Veux"、和訳すれば「おまえが欲しい」・・・。)

「クラシック曲だが、この曲なら馴染みのないものも一度くらい聴いたことがあるだろう。」
は、譜面をたどる。
「はい、この曲なら知ってます。このタイトル、なんて読むんですか?」
「ジュ・トゥ・ヴだ。・・時間がない。早く練習するぞ。」
「はい!」

ジュ・トゥ・ヴと口に出したとき、愛の告白をしてしまったような気分になった。彼女がその意味を知らないとはいえ、なんとなく気恥ずかしい。私は急ぎ音楽室へ移った。
 ピアノを開き、演奏を始める。は必死で譜面を追っているようだ。初見のわりには良くやれている。しかし完璧な調和のために、私は厳しく指摘をしていった。
「・・ここから少しリタルダンドをかける。2小節後にアテンポだから、私が合図する。忘れずにこちらを見なさい。」
「はい、わかりました。」
「ではもう一度ここからだ。」
テンポの揺れるこの曲では、演奏家同士のアイコンタクトが必須だ。そこには特別な意図はない。しかしと見つめあうことに、胸の高鳴りを覚えてしまう自分がいた。

 ようやく納得のいくレベルに達したのは、後夜祭の開始10分前だった。
「先生、あと10分です!」
「わかっている。講堂へ急ごう。」
足早に講堂へと向かう。小柄なが私に追いつこうと必死になっているのが見て取れた。

 講堂に到着すると、藤井が焦り顔で迎えた。
「もう、遅いよ〜。来ないかと思ったじゃない!」
「ごめんね、練習してたから。」
「うん、わかってる。こっちが急に頼んだんだから、文句言えないよね。本当にありがとう。」
「私には何も言わないのか?」
特に藤井に何か言って欲しいわけではなかったが、後夜祭のステージに教師を引っ張り出す礼ぐらいは言うべきだ。
「もちろん、先生にも感謝してますよ。でも感謝して欲しい、っていうのもあるかな?」
「何だそれは?私は君に感謝することなど何もないぞ。」
「そうかなあ??」
「藤井。君が何を言わんとしているか理解できないが、その態度は・・・」
「あ、私マイク係の人に話があるんだった!じゃ、お二人ともよろしくお願いしますね!」
「藤井!」
藤井は逃げ足が速い。
しかし、藤井の言うことにも一理あるかもしれない。藤井がいなければ、とのアンサンブルの機会など与えられなかったのだから。しかし、教師に対する態度としては感心しない。
「藤井には反省文を提出させねばならんな・・・。」
「まあまあ先生、お祭りですから・・。」
「何?」
「いえ、なんでもありません。」

 ステージの袖で待機していると、の表情がみるみる硬くなってきた。
「どうした、緊張しているのか?」
「はい、いつもはみんなと一緒だけど、今日は、あの、先生と私だけ、じゃないですか。注目が集まるのがちょっと怖いです・・・。」
「なんと言うことはない、観客などかぼちゃと思えば良いんだ。それより全身で音楽を楽しむんだ。私も今日は、楽しませてもらうつもりだ。」
「はい。楽しんでみます。」
「よし、その意気だ。」
そうだ。ステージは演奏家だけのもの。君と私だけのものなんだ・・・。

 登場を告げるアナウンス。どうやら藤井の声らしい。
「・・次は吹奏楽部のホープ、さんのフルートと、と冷血教師、氷室先生のピアノのアンサンブルです。皆さん、神妙にお聞きください。」
会場から笑い声がする。冷血教師、だと?不愉快極まりない。藤井は反省文10枚、決定だ。
袖からステージに上がると、大きな拍手が起こった。ほぼ全校生徒が集まっている。の様子を見ると、緊張が最高潮に達しているようだ。ほぐしてやらねば、演奏などできない。
「(大丈夫だ。)」
こちらを見ているに、口の形だけで伝える。の表情が緩んだ。この分なら大丈夫そうだ。

(君の好きなようにやりなさい。私がついている・・・。)

 軽く咳払いをして、演奏を始めた。生徒たちは比較的静かに聞いているようだ。いつもの授業もこのくらい静かにしてくれればありがたいのだが・・・。いや、今日、このステージだけを邪魔しないでいてくれればそれでいいか・・。
 ワルツ調の軽快なメロディ。もともとはシャンソンの曲だ。恋人の愛を求める、甘い歌詞。私が誰かのために歌を歌うなど想像もつかないが、あるいは彼女にならと思う自分がいた。

   君は黄金の天使、私を酔わせる果実
   私を惑わす、その瞳
   できることならば君が欲しい
   私のそばにいて欲しい
   迷いの理由を見つけたい
   君を失いたくない・・・
   できるものならば二人で幸せな時を過ごしたい
   君が欲しい

 鍵盤を叩く指に力がこもる。音色を通してほんの欠片でも思いを伝えたい、今の私にできる最大限の告白だろう。
 いつのまにか、真剣で、しかし楽しそうな微笑を浮かべながら楽器を吹くの横顔をじっと見つめていた。あと数秒でリタルダンドがかかる。アテンポの合図のために、もうじきはこちらを見るはずだ。彼女と視線を交わす瞬間が怖いような、楽しみなような複雑な感情が渦巻いていた。
 がこちらを見る。なぜか少し戸惑ったような表情を見せた。ほんのわずか、彼女の呼吸が乱れる。彼女には珍しいミス。何か動揺することでもあったのだろうか? この程度なら観客はミスに聞こえないだろうが・・・。

 演奏が終了し、拍手に送られながらステージを降りる。やっと肩の荷が下りた様子のに、私は敢えて言葉をかけなかった。袖には、藤井がいた。
「良かったよ〜!やっぱりあんたに頼んで正解だった!私もあの曲知ってるよ。なんて曲かは知らないんだけど。」
「ジュ・トゥ・ヴだ。」
先程の無礼なアナウンスを思い出した私は、藤井に言った。
「藤井、さっきのアナウンスは何だ。」
「え、何のことですかぁ?」
「私のことを冷血教師と言っただろう。」
「そんなこと言いましたぁ?」
「反省文10枚、明日までに提出しなさい。」
「え〜?そんなぁ。文化祭なんだからいいじゃないですかぁ!」
「以上だ。」
余韻をぶち壊しにされた気分になり、私は早急にこの場をを立ち去ることにした。が私を小走りに追いかけてくる。

「先生、今日はありがとうございました。楽しかったです。」
「いや、私も久々に楽しい時間を過ごした。礼を言うのは私のほうだ。」
「そんな、お礼なんて。」
「アテンポのところでは、多少ひやひやしたが。」
「すみません、ちょっと・・・。」
「まあいい、あれだけの練習時間では上出来のほうだろう。 ところで、君は"ジュ・トゥ・ヴ"の邦題を知っているか?」
「あの、知りません・・・。」
「知らないのか。」
「はい・・・。」
「では調べてみなさい。」
「教えてくれないんですか?」
「コホン、何でもかんでも人に聞くものではない。自分で調べてこそ意義があるのだ。」
「はい、わかりました・・・。」
そう、ここでそのタイトルを言うことはできない。伝えてはいけない想いなのだ。しかし、その意味を知って欲しいと思ったのもまた正直な気持ちだ。全く似つかわしくはないが、文化祭のお祭り騒ぎに乗じて、ということにしておこう。
、君はまだ何かやることがあるのか?」
「いいえ、クラスのノルマは果たしましたし、片付けは明日、ってことになってますから。」
「そうか。では私の車に乗っていくといい。送っていこう。」
「はい!ありがとうございます!」

 こうしてを家まで送るのは、何度目になるだろう。彼女の家が私の帰路にある、というのは単なる言い訳に過ぎない。ほんの十数分、彼女を私の空間に招くことができる、大切な時間だ。彼女以外の人間を助手席に乗せたことはない。そうしたいと思ったこともない。いつまでも彼女のために、この助手席を空けておきたいと思う・・・。
 そんなことを思っているうちに、あっという間に彼女の家に到着した。
「ありがとうございました。わざわざ家まで。」
「問題ない、君の家は私の帰路にある・・・。」
「先生?」
「では私はこれで。」
いつも、立ち去るのが辛い。何かもう一言、彼女に伝えたいと思うが、言葉が見つからない。口ごもる私を彼女はいつも不思議そうに見つめている。もう一言が見つかる日はいつか訪れるのだろうか・・・?

 家へと帰る車内で、のことを思う。真面目な彼女のことだから、今夜中にタイトルの意味を知るだろう。一体どんな気持ちでそれを受け止めたのか、いつか知ることができるだろうか。その時、私は正直に、この気持ちを伝えることができているだろうか・・・。

 考えを巡らせるうち、大きな失態を犯した事に気付いた。問題児・藤井の前であのタイトルを口にしたことだ。藤井がまさか意味を調べるようなことはないと思うが・・・。
 頭痛の種がひとつ増えた。





Fin



アンサンブル Gril's Sideを書いているうちに、零一さん視点からも書きたくなって作ったものです。
この零一さんははっきり恋していることを自覚してますが、まだちょっと鈍いところもあるようで・・v
文中の「詩」は、Je Te Veuxの歌詞の一部を零一さんぽく訳したものです。雰囲気出てるといいのですが。


BGM♪ E.Satie:Je Te Veux by メルフィスの小部屋

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