Found in the wind 「先生、お願いします!!」 頭を下げているのは私のクラスの文化祭実行委員だ。 「男子の主役が決まらないんです。それなりに舞台栄えしそうな人間は、部活だなんだって逃げちゃうし、残った奴でオーディションしてみたんですけど、全然ダメで。」 「だからといって、文化祭は生徒が主体となっている行事なのだから、教師が出るのは筋違いだ。」 「でも、このままじゃお笑い劇になっちゃいますよ。氷室学級の出し物、笑われてもいいんですか?」 「・・・それはまずい。しかし、なぜ私なのだ。」 「広院さんの推薦です! 先生、昔俳優目指してたんですって?」 (広院は、あれを人に話したのか・・・。) ほんのわずか、胸が痛む。確かに先週、「社会見学」に彼女を連れ出した際、私のかつての夢を話した。あの会話はプライベートなものだと考えていたのに・・・。 「コホン、確かにかつてはそういうこともあった。しかしそれは昔のことだ。私には向いていない。」 「でも、主役も乗り気なんですよ。先生なら頑張るって。」 「なんだそれは? 主役・・・広院か。」 広院と共に舞台に立つ、それを魅力的だと思っている自分に驚く。ついさっき沸いた彼女への不信などもうどこかへ消えて、ライトを浴びて輝く彼女に思いを馳せている。 「・・・いいな。」 「え?いいんですか? よかったぁ〜。」 「な、今のは返事では・・・」 「じゃあ、これが台本です!よろしくお願いします!!」 委員は台本を私に押し付けると、長居は無用とばかりに職員室を出て行った。私はため息をひとつつく。 (氷室学級のためだ。決して私利私欲のためではない・・・。) ・ ・ ・ 演目はマーガレット・ミッチェルの名作、「風と共に去りぬ」。 放課後、生徒に混じり練習に参加する。かつて演劇に熱中していた自分を思い出し、なんとなく気恥ずかしくなった。レット・バトラーを至極冷酷な男と解釈した私は、なるべく感情を入れず台詞を読み上げる。演出担当の生徒が不満そうな表情を浮かべていたが、私が一瞥すると視線をそらしてしまった。 ・・まあ、問題ない。 広院の演技は、私の想像を越えて素晴らしかった。彼女の名演技に、憧憬を越えた視線を送る男子生徒が数人、いやもっといたことに、私は気付いていた。しかし、彼女の視線を受けるのは私だ、という大人気ない優越感が私を支配していた。たとえそれが演技であっても。 2週間の準備期間は矢のように過ぎ、本番を迎えた。 ・ ・ ・ 本番直前。 広院は見るからに青い顔をしている。 「広院。」 「あ、氷室先生!」 「広院。顔色が悪いようだが?」 「なんだか緊張しちゃって・・・。 あ、もう開演みたいですね。」 開演のアナウンスが流れ、ブザーが鳴る。 「なにも緊張することはない。リラックスしなさい。広院。」 幕が上がり、順調に舞台は進行していった。そして、レット・バトラーがスカーレット・オハラに別れを告げる、クライマックスシーンを迎えた。 「おねがい、行かないで。 やっと気が付いた・・・ わたしはあなたを愛しているの!!  だから・・・。」 「いや、私は君の人生から去ることにする。」 「待って、あなた・・・!」 「さらばだ。」 「いいえ、わたしはあきらめないわ。 たとえ今日、別れても・・・ 明日は明日の風が吹くのよ!」 淡々と告げられる別れ。極力感情を入れないように努めた私には、演じやすいものであるはずだった。しかし、私に追いすがる広院の表情が私を動揺させた。練習のときには見せなかった涙に、心をわし掴みにされたような気がした。言葉を発することがこんなに辛いことはなかった。たとえそれが作られた言葉であっても、自分の口から彼女に伝える別れの言葉、それが辛かった。 劇が終了すると、私は舞台裏に留まることなく屋上へ向かった。 たまらなく、息苦しい。風に、当たりたかった。 あれは、演技だ。本心ではない、と自分に言い聞かせている。では、私の本心とは何だ。 ・・・彼女の人生から去りたくない・・・ ・・・別れを告げたくない・・・ そうだ。私は彼女を必要としている。彼女なしの人生を考えることができない。 しかしこのままでは、彼女のほうが私のもとを去ってしまうだろう。彼女を引き止めるには、どうすれば良い・・・? 風の中で、私は気付いてしまった。 もう、広院の前で「教師 氷室零一」の役を演じていることができなくなったことを。 役を降りた私を、彼女はどう受け止めるだろうか? 信頼を失う? それならそれでも構わない。私が欲しいのは、教師への尊敬の念ではなく、彼女の、愛情だから・・・。 そうと決まれば、後は行動しかない。 広い校内のどこかに、まだ広院はいるはずだ。また週末の「社会見学」に彼女を誘うのだ。 おあつらえ向きに、風は追い風だ。 Fin