おまじない 文化祭も近づいた、秋の放課後、どこからともなくフルートの音色が聴こえて来た。 「この音は、フム、広院だな。」 荒削りではあるが、どこか芯の強さを感じさせる音色。その可能性に賭け、私は彼女にソロパートを与えた。どうやら自主練習をしているらしい。感心だ。 「この次でいつも間違える・・・。」 案の定、フレーズを間違い、演奏が止まる。これは、行って指導してやらねばなるまい。 私は音楽室へ向かった。 演奏の邪魔をしないように音を立てずに扉を開くと(これは私の得意技のひとつだ。)、そこには真剣な面持ちで楽譜を見つめる広院がいた。まもなく例のパートに差し掛かる。 (・・また間違えたな。) 広院は演奏を止め、ため息をついた。声をかけようと音楽室に足を踏み入れたとき、広院の声がした。 「ごめんね、零一。上手く吹けなくて・・・。このままじゃ文化祭、台無しになっちゃうよ。」 (今、零一、と言ったか??・・・・) 「広院。」 「ひゃあっ!!」 私の声に驚いた広院は、椅子から転げ落ちた。全く、落ち着きがない。 「ひ、氷室先生。脅かさないでください! お化けかと思ったじゃないですか!」 「君はまだお化けを克服できていないのか?」 「・・すみません。」 「まあいい。それより楽器を持って暴れるな。」 「暴れるな、って先生が脅かしたから・・・。」 「何?」 床にへたり込んだ広院に手を貸してやりながらこう諭した。 「君は集中力に欠けるところがある。集中していれば急に声をかけられても驚きなどしない。」 「はあ・・・。」 「それより、先ほど私の名を呼ばなかったか?」 広院は明らかに動揺し、手をぶんぶんと振り回しながら言った。 「そそそ、そんなことないですよ!先生の空耳じゃないですか?!」 「私の聴力は全く正常だ。空耳などありえない。」 「とにかく、名前なんて呼んでいません!」 「そうか?ならばそういうことにしておこう。それより、楽器を持って暴れるなとさっき言ったばかりだろう。」 「は、はい!」 広院は手を振り回すのをやめると、椅子に座りなおした。 「ところで、氷室先生、何か御用ですか?」 「そうだ。君のソロパートを指導してやろうと思って来た。」 「ありがとうございます!よろしくお願いします!」 「よろしい。では32小節目から始めるぞ。」 「はい!」 ・ ・ ・ ・ ・ 数日後、私の授業中に携帯を鳴らす、という不届きな女子生徒がいた。 「私の授業を邪魔するとは、いい度胸だ。この携帯は没収する。」 「そんなあ〜。」 「何?何か文句があるのか?」 「・・・いいえ・・・」 携帯にはジャラジャラと装飾品がついている。無駄なこと極まりない。裏を返すと、男の名前が書いてある。 「この携帯は本当に君のものか?」 「そうですけど?」 「しかしここに男の名前が・・」 「あっ!だめっ!」 「何だ?」 「あの、今、女子の間で、大事なものに好きな人の名前を付けて呼んであげると、その人と両思いになれる、っていうおまじないが流行ってるんです!だから先生、その名前読まないで!!」 「また妙なことを・・・」 その瞬間、脳裏に先日の放課後の風景がよみがえった。広院が零一と呼んだのは、彼女の大事なフルート・・・。ということは・・・? 「・・先生?」 「コホン。とにかくこれは没収だ。放課後までに反省文を10枚提出してもらう。そうすれば返却してやろう。」 「え〜。」 「え〜ではない。わかったな。」 「・・はい。」 「よろしい。それでは授業を再開する。」 ・ ・ ・ ・ ・ 授業を終え、職員室へと戻る。 (そもそもまじないなどというものは単なる気休めであって、願いを実現したいのならば努力を怠るべきではないのに、そんなことばかりに夢中になる心理は理解に苦しむ。物に名前を付けるなど、全くもって意味がない。 ・・・しかし、現状を考えると、多少の効果は認めなくてはならないのだろうか・・? いや、そんなはずはない。必ず別のファクターが・・・。 まあいい。ならば私がまじないの効果のほどを実証してやろうではないか。そうだな、ではこのタクトを咲、と名付けてみるか・・・・。) Fin