溜息



「ハァ・・・。」

数学準備室に、全てを吐き出すような音は虚しく響いた。

普段なら自らの奥の奥にしまい込む筈の溜息。

(もし生徒がこれを見ていたのなら、驚いてフリーズするだろうな・・・)

自分でもそう思う程に彼の溜息は珍しいものであった。



・・・しかし、今はそんな事どうでも良い。

連日の安定しない天気のせいなのか、単に疲れのせいなのか、

とにかく、最近彼の『けだるい指数』は上昇傾向にあった。

その原因に思い当たる節が無い訳ではない。

ただ、今自分が置かれている立場を考えると、それは認めてはいけない感情だった。

その現実は彼をさらに悩ませ、抜け出せない深みへと導いていく。



プロトタイプなどと言われ、冷血呼ばわりされてきた彼。

自らの判断を信じ、完璧であることを大切にしてきた彼。



そんな男、氷室零一の世界は、たった一人の少女によって徐々に崩されつつある。

否・・・本人の自覚が無いだけで本当はもうとっくに崩れているのかも知れない。

事実、他の生徒から見てここ数ヶ月の氷室の行動はおかしかった。

たとえ氷室がいつも通りにしていたつもりでも、だ。

例えば、始業時間の5分前には教室に来ていた筈なのに最近は遅刻してばかりだし、

(彼女の事ばかり考えすぎて時間を忘れているから)

テストを作ることが大好きな筈なのに、豆テストをしなくなった。

(彼女が友達に「数学の豆テストは大変だ」とぼやいていたから)



全ては愛しい者の為に。壊してしまいたいくらい愛しい者の為に・・・。



「何故彼女は私の思考回路を狂わせるのだろう・・・。私はおそらくこんなに弱い人間ではなかった筈だ」



無色透明であまりにも空虚だった彼の世界。

しかし、彼女との出会いが、思いがけない展開が、その世界の住人である氷室自身を戸惑わせ、悩ませていた。



「私はどうすればいいのだ」

普段は正常に動くはずの彼の脳は

辛く苦しい感情を押さえ込むのに必死で、冷静さを作り出す余裕さえも奪って彼を責め立てる。

それは零一にとって致命傷だった。

元々感情が不器用なのだ。

こういう事態に対する対処法など持ち合わせている筈が無かった。

それは焦りとなって、何も出来ない事を悔やませ、酷く彼を自虐的にしていた。



「私は弱いのか・・・?冷静にしている事は・・・結局、強がりに過ぎないのか・・・?」



そんな事を考えていた時だ。



『コンコンッ』



突然鳴ったドアの音。

向こう側から聞こえたのは・・・・。



「先生?・・・氷室先生、いらっしゃいますか?」



自分を狂わせる彼女の声・・・。



今まで考えていた事を振り払い、教師の顔に変え、一拍間をおいて答えた。



「あぁ・・・私は此処にいる」

そう、君に惹かれている哀れな男は此処にいる。



「入ってもよろしいですか?」



「・・・・・・構わない」



もう、構わない・・・。



「氷室先生・・・良かった、見つかって」

「何故?」



「相談したい事があったんです」

「・・・相談?進路か?いや、君ならそれは心配ない筈だな・・・」



「いえ・・・そんなことじゃなくて個人的な事なんですけど・・・。

その・・・・私、好きな人がいて・・・・」



意識が飛びそうになる。

彼女は今なんと言った?



「その人の事が好きで好きでどうしようもないんです。

とても優しくて、けどちょっとだけ不器用で・・・。

そんな所も大好きなんですけどね」



屈託のない顔でこちらを見つめる彼女。

しかし、いつもなら愛しいその表情も零一にはとても残酷にうつった。



「でも・・・最近耐えられなくなってきて・・・。

気づいてくれていないみたいなんです。私の感情に・・・。

だからいっそのこと伝えてしまおうと思って」



・・・零一の中の残酷な感情が溢れてくる。

彼女が私から離れていくと・・・?

・・・そんなこと・・・許さない・・・。





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