After Party 天乃橋理事長宅でのクリスマスパーティの後、玄関先で会った広院咲にせがまれ、親友の経営するジャズバーを彼女と共に訪れた。アルコール類を提供するこの店に、未成年、かつ高校生である彼女を連れてくるのは正直気がひけたが、懇願する彼女の眼差しに、私の意思は簡単に折られてしまった。 (何故こんなに彼女に甘くなる・・・。厳格な教師、氷室零一はどこへ行った?) 親友は何か含みを持たせた笑顔で、私達を迎えた。彼女とここを訪れるのは実は二度目だ。一度目は不覚にも私の愛車が故障を起こし、修理を待つ間、寒さをしのぐために緊急避難したのだ。その時から奴は私達の関係を疑わしい目で見ているようだったが、私はそれを無視していた。 「よう、いらっしゃい。おふたりさん。」 「こんばんは!」 広院がはしゃいだ声をあげる。 「…念のために言っておくが、私達は…。」 「わかってる。デートじゃないんだろ?オーダーはレモネード2つ。…それでいいか?」 「結構。」 酒を飲むつもりでこの店に来たが、レモネードでクリスマス、というのもなかなか悪くない。程よい酸味と甘さが、何かを象徴しているようで・・・。 「・・・さて、じゃあそろそろ零一に一曲弾いてもらおうか。」 「・・・俺は客だ。この店じゃ、客に演奏させるのか?」 「そっか・・・しょうがない。じゃあ、おまえの学生時代の話でもしよう・・。」 「・・・何故そうなる。」 「何故って、そりゃ退屈だからだよ。生徒さんだって聞きたいよね?」 「はい!!」 「・・・一曲だけだ。」 仕方なく、私はピアノへ向かう。幼馴染の奴には、何かと秘密を握られている。もちろん私が握られている以上に、私は奴の秘密を知ってはいるが、広院にとっては何の意味もない。ここでは私が圧倒的に不利だ・・・。 上着を脱ぎ、鍵盤を叩き始めると大変気分が良くなった。ピアノは私の感情を投影する。流れ出す音色の明るさに、私がこの時間を楽しんでいることが他覚的にわかる。クリスマスだから? いや、私のピアノを、聴かせたい人間がいるからか・・・。 視界の端に、広院と奴が何か言葉を交わしているのが見える。二人は時折こちらを見ると、意味深な笑いを浮かべる。何を話している? まさか、私の秘密を話しているのではあるまいな? ・・・奴にはあとで問いたださねばならない・・・。 1曲弾き終え、カウンター席へと戻ると、奴がこう言った。 「零一、悪い。もう1曲弾いてくれないか?リクエストなんだ。」 「俺は客だと言っているのに。」 「今日だけ、な。頼むよ。」 「・・・おまえの今日だけは聞き飽きた・・・。」 そう言うと私は再びピアノに向かう。秘密を握られているからではなく、もう少しこの時間を楽しみたい、という気持ちが勝った。 (特別な夜、だからな。) ピアノを弾き始めると、広院が店の奥のソファー席に移動するのが見えた。カウンターのスツールは足が高いので、小柄な広院には疲れるのだろう。私はそれほど気にとめず、ピアノに熱中した。 弾き終えると、奴がブランデーのグラスを持って近づいてきた。 「お疲れ。飲めよ。」 「おい、今日は・・・。」 「いいじゃないか。せっかくのクリスマスなんだから。それより彼女、寝ちゃったみたいだぜ。」 振り返ると、たしかに広院はソファーに寄りかかって目を閉じている。 「車じゃないんだろ?彼女が起きるまで、飲んでろよ。」 「しかし、それでは遅くなって彼女のご両親に心配をかけてしまう。」 「大丈夫だって。今日は遅くなる、ってちゃんと言って来た、って彼女言ってたぜ。先生と一緒だから、って。」 「先生と・・・。」 わずかな動揺が走る。そうだ、彼女にとって私は教師。彼女が私に寄せるのは、信頼。 「よく寝てる。少しだけ、寝かせておいてやれよ。」 「・・・ああ。」 私はグラスを受け取ると、彼女の隣に腰掛ける。琥珀色の液体を喉に流し込むと、広院に視線を向けた。疑うことをなにも知らないような、無垢な寝顔。 「まったく、こんなに無防備な寝顔を晒して・・・。緊張感がまるでないな。」 無意識のうちに、頬にかかる髪に手が伸びていた。柔らかな感触を楽しんでいる自分に気付き、慌てて手を離す。 「何をしているんだ、私は。もう、酔ったのか?」 心なしか、脈拍が上がっている。もう一度触れたい、という誘惑に勝てない。 「今夜だけ・・・許せ、咲・・・。」 肩を抱き寄せてみる。驚くほど軽く、私の胸に寄りかかってくる。起きる気配はない。 「このまま、どこかへ連れ去ってしまいたくなる・・・。」 鼓動はますます早くなり、ボリュームを上げる。彼女にはこの鼓動が、伝わっているだろうか? どのくらいそうしていただろう、ほんの数分のような、もっと長かったような時間。 広院が起きそうな気配に、私は慌てて腕を外した。 「・・あ、私・・眠っちゃったんですね。」 「よく眠っていたな。」 「すみません、つい・・・。」 「さあ、もう遅い。家まで送っていこう。車ではないのだが・・・。」 「はい。あれ、先生、お酒飲んだんですか?」 「・・・少しな。もう酔いは覚めた。帰るぞ。」 奴の意味深な視線を受けながら、私達は店を後にした。夜風が頬に心地いい。まだ少し、酔っているのだろうか。 彼女の家の前に着く。 「氷室先生。今日はありがとうございました。」 「・・・やはり、私からご両親に一言挨拶をしておくべきだろう。」 「大丈夫です。今日は先生と一緒だって、言ってありますから。」 「先生と・・・そうだな、わかった。・・・広院。」 「はい?」 「コホン・・・メリークリスマス。」 柄にもない台詞を吐いて、私は彼女の家を後にした。手には、彼女と交換したプレゼント、ガラスの一輪挿し。これに似合う花を、買い求めなければな、と思った。 それより来年は、持ち帰り損ねたプレゼントを、再び手にすることができるだろうか。彼女、自身を。 Fin