BGM:ドビュッシー 雨の庭(「版画」より)


Rainy Garden


その日は、前々からの約束で、先生の幼馴染が経営するジャズバーへ行くことになっていた。
卒業してから、なかなか聴くことができなくなってしまった先生のピアノを聴くことができる
数少ない場所。私はそこへ行くことをずっと楽しみにしていた。

「ねえ先生、今日は何を弾いてくれるんですか?」
「・・・君は、まだ先生と呼ぶのか?」
「だって、なんか照れちゃうんですもん。それに、先生だってまだ私のこと苗字で呼んでるし。」
「お互い様、か。」
「そうですよ。お互い、慣れてきたら、って事にしましょうよ。ねえ、ところで何弾いてくれます?」
「そうだな・・・君は何がいい?」
「うーん・・・、ドビュッシーの『雨の庭』かな。暗いですか?」
「ふむ、今日はそんな天気だしな。いいだろう。、一雨来そうだ。急ぎなさい。」
「はーい!」

ジャズバーのドアを開けると、マスターさんはカウンターで誰かを接客していた。

「いらっしゃいま・・・。」
「?」


マスターさんは急に焦ったような表情で、私たちに妙なゼスチャーを送ってきた。
シッシッ、って何? 帰れ、ってこと??

そのマスターさんの妙な様子に、カウンターに座っていた女性がこちらを振り返った。
そして、言った。

「零一!」

黒い、つやのある長いストレートヘアに、たぶんブランド物だろう赤いスーツをばっちり着こなして。
すらっとした身長は志穂よりも高いから、170cmは越えてる。顔も非の打ち所がないような美人。
誰なの、この人。

「鏡子・・・」

先生にそう呼ばれた女性はこちらに駆け寄ってきて、先生の首に手を回した。

「!!!」
「零一! 会いたかった!! ここにくればきっとあなたに会えると思って!」
「この手を離せ、鏡子。」
「嫌よ。恋人との再会の場面に、抱擁はつきものでしょ?」

(!!・・・恋人っ?)

動揺と、訳のわからない感情の入り混じった視線を、二人に向けていると、
「きょうこさん」は先生の肩越しに私を見た。

「あら、何この子? 零一の妹、はいなかったわよね。親戚の子か何か?」

(!!)

見下されてる。完全に。
彼女が浮かべている勝ち誇ったような笑みを見ているのが我慢できなくて、私は言った。

「私、帰ります。お邪魔みたいだから・・・。」
「おい!!」


言い終わるなり、私は駆け出した。
誰かが追いかけてくる気配がしたけど、私は伊達に体育祭クイーンと呼ばれていたわけじゃない。
足には今も自信がある。全速力で、めちゃくちゃに路地を曲がっているうちに、気配は消えた。
自分でもどこをどうやって走って来たのかわからない。気付くと、私は小さな公園にいた。

低く垂れこめた雲から、大粒の雨が降り出していた。あっという間にあたりは土砂降りに煙る。
東屋のベンチに腰掛け、私は呆然としていた。


先生の恋人、って言ってた。
私なんかより、ずっときれいで、大人っぽい。
先生と二人で街を歩いたら、みんなお似合いの恋人同士だ、って思うだろう。
私は、あの人の言うとおり、妹か、親戚の子にしか見えない。
身長差30cmに悩む私と、あの人じゃ、大違いだ・・・。


私は、先生の何なのかな・・・。


教会での告白を思い出す。
私を愛している、と言ってくれた先生。
あの言葉に嘘はない。それは信じている。

だけど、あれからの私たちはほとんど変わらない。
相変わらず、先生と生徒で。
「デート」に変わったはずの二人での外出は、小難しい話ばかりで。
手をつなぐことさえも、なかなか許してくれない。
いつまでたっても、お互いの呼び名を変えることができない。

でも、あの人は違う。
先生の名前を呼び、名前で呼ばれる。
自然に、首に手を回せる。

嫉妬する。
先生に親しげに近づく、あの人に。
先生を名前で呼んだ、あの人に。
先生の過去を知ってる、あの人に。


あの人は、先生の何・・・?


さまざまな憶測が、頭の中を飛び交う。

信じたい
信じられない
信じたくない
信じない

わからない・・・。


涙が、とめどなく頬を伝う。
土砂降りの雨にシンクロするように。
いっそこのまま、全身が涙になって、雨に溶けてしまえばいいのに・・・。


ちゃん。」

名前を呼ばれ、驚いて目を上げると、傘を差したマスターさんが立っていた。

「探したよ。急に出て行くから。」
「・・・」

マスターさんは傘を閉じ、隣に座る。

「ダメだよ、こんなところで泣いてちゃ。
俺みたいにナンパなやつが『なぐさめてあげるよ』なんて来ないとも限らないんだから。」
「・・・」
「笑うとこだよ、今の。まあ、そんな気分にはならないだろうけど。
探しに来たのが零一じゃなくてがっかりしたんだろ?」

私は無言で首を振った。

「そう?そうは見えないけどね。零一は、飛び出した君をすぐに追おうとした。でも、俺が止めたんだ。」
「・・・どうして?」
「鏡子ときちんと話つけてからにしろ、って。
じゃないといつまでもちゃんを苦しめることになるから、って言ったんだ。
ちゃんは俺が探してくるから、って二人を置いてきた。」
「・・・誰なんですか、あの人。」
「鏡子は、俺達の大学の同級生だった。
見たとおり美人だし、金持ちでもあったからいつも周りからちやほやされて、高飛車だった。今も変わってないね。
その鏡子が零一に惚れてさ、交際を申し込んだんだけど、零一はすげなく断った。
プライドを傷つけられて、それでもあきらめきれなかった鏡子は取り巻き連中を使って零一と鏡子が恋人同士、って言う噂を流したんだよ。
零一は最初は無視してたんだけど、周りからのプレッシャーがひどくて、結局なし崩し的に鏡子と付き合う、という形になってしまった。
もちろん、曲がったことが大嫌いなあいつだから、隣を歩くことぐらいは許しても、それ以上のことは全くなかった。
だけど鏡子はさらにあることないこと噂を流して、卒業したら二人は結婚するんだ、って話まであった。
零一は悩んでたよ。どうしたらこの状況を脱することができるのか、ってね。でも、それは突然に解決した。
鏡子が、パリのモデルのオーディションに受かって、フランスに渡ることになったんだ。
いつ帰ってこられるかわからない、っていう事だったから、俺も零一も、これで自然消滅にできる、って思ってたんだ。
事実、今日までそうだと思ってた。だけど鏡子は忘れてなかった。零一に会いに来た、って俺の店に来たときには本当に驚いたよ。
そして君たちと鉢合わせすることになるなんてね・・・。」
「そう・・だったんですか・・」
「君が心配しているようなことは何もないよ。零一が愛してるのは君だけだ。
ってそれは、俺の口から言うことじゃないよな。ちょうど雨も上がってきたし、グッドタイミングだ。ほら。」

マスターさんが指差すほうを見ると、先生がこちらへ向かってくるのが見えた。

「さあ、王子様。姫はこのナイトめがしっかりお守りしておりましたよ。」
「・・こんなときにふざけるな・・いや、ありがとう・・」
「どういたしまして。鏡子との話はすんだか?」
「ああ。世間の荒波にもまれて、あいつもだいぶ理解力がついたようだ。
初めて男に振られて、むきになっていた、と。今の私の顔を見れば、自分に可能性がないことぐらいわかる、ともな。
私は何か、おかしな顔をしているか?」
「いや、そうじゃないだろう。鏡には映らないことさ。で、あいつは?帰ったのか?」
「まだ店にいるはずだ。おまえに自棄酒を付き合ってもらいたいそうだ。」
「げっ、本当かよ? あいつ、酒癖悪いからな・・。暴れないうちに、店に戻るわ。ちゃん、雨の中で体冷えてるから、暖めてやれよ!」
「・・・」

そういい残してマスターさんはお店のほうへ帰っていった。
先生は、ゆっくりと私のほうに近づいてくる。

「すまなかった・・・君にこんな思いをさせて・・・。」

先生はベンチに座る私の前に跪くと、そっと私を抱きしめた。

「・・・お話は、聞きました・・・」
「そうか。あいつがなんといったか知らないが、鏡子、さっきの女性とは何もない。単なる同級生というだけだ。誤解を、しないでほしい・・。」
「・・・」
「彼女との一件があってから、私は恋愛というものに嫌悪感を抱いていた。
自分が恋愛感情を持つ、などということは想像すらできなかった。しかし、君に出会って、私は変わった。
誰かを想う、ということがこんなにも素晴らしいことだと知った。鏡子が私にあんなにむきになった理由も、今はわかる気がする。
もし私がこの感情をもっと早く理解していたなら、彼女とこんなにこじれることはなかったのかもしれない・・・。

しかし、それは過去の話だ。今は君が、私の全てだ。君だけが私の心の琴線に触れ、メロディを奏でられる存在なんだ。
君がさっき、店を飛び出していったとき、私は心臓を締め上げられたかのように感じた。
このまま、君が私を軽蔑し、永遠に君を失うことになったら、と考えたら、絶望的な気持ちになった。
すぐに君を追いたかったが、あいつに止められた。確かに、あの状況のままでは君に納得してもらうことはできない。
彼女とはきちんと話をした。お互いの見解の違いを認め、納得した。もう彼女が私にあのような態度をとることはないだろう。
彼女はまた、近々フランスに戻るそうだ。次は永住になるだろうと言っていた。もう君の前に、彼女が現れることはないと思う。
私が愛しているのは、君だけだ。後にも先にも、君一人だけなんだ。わかって、もらえるだろうか・・・。」

声を震わせる先生の目に、涙が一粒、光った。
きれいな睫が、濡れる。

「せんせい・・・」
「・・・」
「顔、上げてください。やきもち焼いたりして、ごめんなさい。
先生のほうが大人なんだし、いろいろ経験してるんだから、過去に何があったっておかしくないのに。
まだ、子供なんですね、私。だからいつまでも、あの人に言われたみたいに、妹みたいにしか見られないんでしょうね・・・。
私、早く先生につりあうような大人になりたい・・・。」
「そんなことは必要ない。私は今のままの君を、愛している。年齢ならゆっくりと重ねていけばいい。
その一瞬一瞬の君が、私は好きだ。私の前でどんどん変わっていく君を、ずっと見ていたい・・・。」
「先生・・」
「その呼び名はもうダメだ。私だけの固有名詞ではない。私を、呼んでくれ。」
「・・零一さん・・」
「・・、愛している・・」

そうして私たちは、キスを交わした。上がったばかりの雨の匂いと、涙の味がするキスを。
雲の間から零れ出した日差しが、ふたりを包んだ。


Fin



カウンター7000をゲットされた橘 るり様からのリクエストです。ジャズバーのマスターを絡めて、
オトナの女性に主人公がやきもちを妬く、という設定だったのですが、わりとありがちですかねえ(^-^;)
マスターが単なる説明役になってしまっているかもしれない・・・。後半の先生の台詞は書いてて自分で
泣いたりして。私ってナルシストかも。ストーリーの展開と、BGMにさせていただいた「雨の庭」を
シンクロさせているつもりです。そんなふうに感じていただけると嬉しいです♪

BGM♪ C.Debussy Estampes:III. Jardins sous la pluie by メルフィスの小部屋


Special Topへ













SEO対策 ショッピングカート レンタルサーバー /テキスト広告 アクセス解析 無料ホームページ ライブチャット ブログ